「十人十色ゲーム」とは、「他者の視座」に対する意識を喚起するきっかけとなる経験を提供するためにデザインされた、"ゆるやかな形式"のオープンソース・ゲームです。
中学生から社会人まで幅広い参加者を想定した「協調学習」のための学習環境デザインを意識しています。
友人の「好みの食べ物」が分かりますか?
ゲームのやり方はとても簡単です。「他人の好みの食べ物を予想する」、ただそれだけです。でも、実際にやってみると、予想はなかなか的中しません。試しに、右のシートにある3つの中から、あなたの友人が何を選ぶかを予想し、それが当たっているか確認してみてください。このシートは、実際の「十人十色ゲーム」で使っているものですが、私の経験上、かなり親しい友人の選択を予想しても、その正解率は1/3程度です。それは、普段、友人たちがどんな食べ物を好んでいるかについて、それほど注意を払っていないことが影響しているような気がします。
3つの選択肢が目の前に提示されたとき、私はつい「どれにしようかな?」と考えてしまいます。つまり、無意識のうちに「自分」が私の思考の大部分を占有してしまうのです。改まって質問でもされない限り、「他人の好み」を考えてもみません。この、「自分」についての思考を優先してしまうという無意識の状態が、様々な状況において、他者とのコミュニケーションを難しいものとしているように思います。それが全てではありませんが、コミュニケーションにおいて無視できない側面であるに違いありません。
もちろん、「どんな注文するかなんて些細なこと、いちいち意識してないのが普通じゃないか」というのも尤もな意見かもしれません。でも、「何を注文するか」のような、日常にありふれた些細なことだからこそ見えてくる真実があると、私は考えています。それは、コミュニケーションにおける日常的な意識/態度/関心といった側面の重要性です。
あらためて、「他者の視座」を意識してみること
おそらく、ほんの些細なことであっても、日常の中で「他者」を意識するのは、公式のトレーニングプログラムの中で、「高度なコミュニケーション技術」を習得するのと同じぐらい困難なことのはずです。「どんな注文するかなんて些細なこと、いちいち意識してないのが普通じゃないか」という言葉の背後には、「やろうと思えば簡単にできる」という意識が見え隠れしています。でも、「やろう思えば」ということが落とし穴です。私たちは、「重要だ」という認識がない限り、「やろうと思わない」ことがほとんどなのですから。
このことに気づくために、「十人十色ゲーム」では、敢えて「重要でないこと」に焦点を当てることにしました。ゲームの中で「他人の好みの食べ物を予想することがいかに難しいか」を経験することが、あらためて「他者の視座」を意識することの意味や意義について考えてみるきっかけとなることを期待しています。